県大会はベスト16に残れず残念でした。
でも、君たちはいい経験をしたと思います。
勝つチームがあれば負けるチームがあり、
負けた試合からの方が学ぶことは多いものです。
悔しいと思っていますか?
ここで悔しいと思わなければ部活はやめた方がいい。
この悔しさをどう跳ね返すかで人間的にも成長できる。
負けたことを他人のせいにしていないか、
自分が置かれた環境のせいにしていないか、
どうして負けたのか、何が足りなかったのか、
頭を使って考えるいいチャンスをもらったのです。
神奈川県を代表するプレイヤー田臥選手の中学時代のエピソードを紹介します。
田臥選手は大道中学時代、2年生のときの新人戦は準優勝、3年生のときは優勝しました。
練習時間や体育館の使用、顧問の先生はテニス部の先生だったなど、
決してバスケットボール部にとって恵まれた環境ではなかったと聞いています。
それに、田臥選手はチームでも一番身長が低かった、フィジカル的にも恵まれいませんでした。
田臥選手はNBAのレイカースのマジックジョンソン選手のプレイが好きだった。
お父さんが録画したレイカースの試合のビデオをテープが切れるまで見たそうです。
今でこそ当たり前の技術やプレイになっているが、
当時ではノールックパスやバックビハインドやレッグスルーのドリブルを試合中にいとも簡単にする選手はいなかった。
田臥選手だけだった。(当時、すごい選手がいるというので私も見に行きました)
田臥選手をはじめとする大道中バスケ部の選手たちは、学校での部活の練習が終ると、近くの公園に集まり夜10時ころまでパスやシュートまでのフォーメーションの練習をしていたそうです。(合わせの練習かな)
もちろん、その公園にはバスケットリングなどありません。パイロンや木などをリングにみたてて夜遅くまで同じフォーメーションの練習を何度も何度もしたらしいです。
華麗に見える田臥選手のプレイには、田臥選手と他の4人のこのような努力があって成り立っているのです。
どんなにパスが上手くてもキャッチできなければ、その後のシュートを決めなければ、それはいいパスとは言いません。
田臥選手たちが他の中学生と違いは、人からバスケットボールを教えてもらうのを超えて、自分たちで目標とするプレイを見つけ、何度も何度も繰り返し練習し、それを自分たちのモノ・武器にしたことです。
君たちには、これからバスケットボール以外にもいろんな戦いがあると思う。
どれだけ準備できるかが勝敗を分けるということを学ぼう!
そして、今の自分を超えるんだ!
負けた原因を考える、すぐに修正して、次に進もう!
(文責:中島正雄)